自信と素直さを両立させるには?

昔書いたブログを見て、あまりにも自意識過剰な自分に血反吐が出そうである。

 

そんな青臭い過去の自分に気付いたということは、自分も社会人として、それなりに一人前になってきたと言うことだと思う。

 

さて、そんな過去の自分を一刀両断で否定することは正しいのか?

イーロンマスクの伝記を読みながら考えた。

 

一般的な社会人の観点からすれば、あまりにも青臭くて、餓鬼にしか見えない自意識過剰さも、一概に否定すべきでないと思う。

社会人としての振舞いに心身ともに迎合してしまうことは、日本社会に溶け込んでしまうことであり、自分も日本社会のように停滞(衰退)の一途を辿る気がしてならない。

自意識過剰は避けるべきかもしれないが、自信は、自分の道を歩み、革新を生む手助けになる。周りに合わせているだけでは何も生まれない。

 

ただ一方で、学生のような自意識過剰=自信は、素直さの欠落を生んでしまうと思うし、周りからも良く思われない。

 

何とも悩ましい。

こういう話は、毎回「丁度いい具合」「塩梅」とかいう感覚頼りの話になってしまうが、

結局のところ、体裁としては日本の社会人らしさを保ちつつ、心の内は社会人らしさに反抗し続けるべきなのだと思ったりした。

 

もう少し具体的にすると、

例えば、意味の分からない社内システムがあるとして、

「なぜこんなシステムなんですか?」と先輩に聞くと、取ってつけたような説明をされる。

そこで、「そうなんですね!」で終わるのではなく、体裁上は「そうなんですね!ニコッ」っとしておいて、水面下でシステムを変えようと動く。

そんな社会人でありたい。